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読んだ本の記録とメモ

大野靖子『少女伝』

大野靖子『少女伝』メモ

p16

たとえ母と子であっても波長が合わないかぎりはだめなのだ。それを思い知った瞬間こそ幼い麻子の母離れ、自立への出発だったのかもしれない。

 

p23

子供は母親の分身というが、自分と瓜二つの長男を失ってしまったのだ。

 

p35

考えてみれば麻子は自分の部屋を持っていなかった。ではどこにいたのだろう。絶えず誰もいない空間を探しては、そこにいたのだ。浅野の家人たちが右往左往する隙間の空間にいつも麻子はいた。部屋を貰ったことで麻子は逆に困惑し、これからどうするのか、逃げ場のない現実が麻子に迫った。

 

p36

夢のような宝塚の舞台を見せてくれた。

 

p58

「こういう時、感情的になるとどっと疲労し、自分が倒れる。いろいろあっても、全部受け入れてやり過ごしてゆこう」これが父の決意だった。

 

p61

苦痛のない平穏な肉体と心がどれほど心地よいものか。

 

その間に死はせわしなく麻子の周囲で跳ね飛んで遊んでいるようだった。

 

p64

麻子がねぼけ眼をこすりながら市川さんの家に行った時には、母の節子がそのことには慣れきった様子で、正美にも熱い湯を絞った手拭いを持たせ、遺体を拭き清め、新しい単衣を着せ、死の床をつくり終っていた。

 

p67

与えられた薬も捨てて、緩慢な自殺行為をつづけ、とうとうやせおとろえて起き上がることができなくなった。

 

p68

麻子は達夫がやったように街をさまよい、映画を見歩き、兄と姉に映画の筋から街行く人たちの様子まで克明に伝えた。一畳敷の廊下の真ん中に陣取って、左右の兄、姉に外界の情報を提供するのが麻子の役目ときめた。身動きできなくなった達夫と悦子は、妹の話に熱心に聞き入っていた。

空想の中だけでいい。麻子は悦子や達夫の手を引いて街を歩き、共に映画を見ているように身振り手振りをまじえ、あるだけの知恵をしぼり、映画のストーリーや俳優の魅力を情熱をこめて話した。姉や兄をもう一度麻布の街の中へ解放してやりたかった。麻子は姉と兄を連れて 十番通りを、永坂を、鳥居坂を、六本木を、日活を、新興を、一之橋の大都映画館を、芝園館を、得意の速い席取りで掛けさせ、自由に映画を見せてやりたかった。自由を与えてやりたかった。

 

p70

それは麻子の人生の中で出会った最大の悲哀の光景だったろう。

 

p74

全体的に漠然とした黄土色の色調で、その絵は不安感に満ち、恐る恐る外界をのぞいている悦子から伝わってくるものは、怯えだった。外界に対していつも悦子は怯えていたのか。はなやかな、きわだった美を持って生まれた姉が、絶えず外界に対して恐れと不安を持っていたなど誰も気がつくものはいなかった。その不安や怯えが一気に炸裂するまで、精神病の知識に不案内な両親も弟も妹も気づかなかったのだ。そんなデリカシイのない家族に取り囲まれ、タングステンが震えるように姉の心はいつもおののいていたのだ。

 

p76

麻子は一瞬とまどったものの、浅草から逃げて来た人の火傷、家族七人あっというまに失くしてしまった悲惨さの実感があったので素直に頷いたが、お腹の中ではその時になってみなければ自分がどう行動するのかわからないと思った。そういう時こそ人間の本質がわかるだろう。その時はその時、親を捨てて逃げるというみにくい行動に出たとしても後悔はすまいと覚悟を定めた。麻子は死に慣れきっていたのだ。

 

p80

運命に明暗の岐路があるとすれば今だ。

 

p81

麻子に人間とは死と狂気を生きるものだということを骨の髄まで叩きこんでくれた、姉や兄たちよ。綺麗な慈顔を残して何一つ報われぬまま死んだ父よ。口には出さなかったが麻子が心から愛した浅野の家族たちよ、麻布の街よさようなら。

 

p82

麻子は生き残れるか残れないか、この瞬間の行動こそそれを分けるのだと思った。身体中にたけりつけたような力がみなぎり、恐怖はなかった。

 

 

p95

麻子は照江のような無邪気でむきだしな好意を寄せられたことがないのでいつも不可解な気持ちのまま蒸しパンや繊維の固い裏山の細い筍や、鯡の固い小片や煮干しを口の中に突っ込まれる。

 

 

p100

この夜の炎上を「お父さんが空襲前に死んでくれて助かった。清めの火だ」と呟いたのは麻子の母の節子だけだったろう。

 

浅野家の家長であった栄蔵は、情愛の深い人だった。誰よりも母の節子を愛したし、子供達をありったけの愛情で包み込んだ。父親は、照れることなしに子供たちへ愛情を注いだ。浅野の家には、いつも父親の土産ものの銀座の高級店のチョコレートがあったし、しかもそれを女中までいれて家族で福引したり、休みの日は多摩川の川原へ家族全員を連れてハイキングに行った。二番地の露地奥から引っ越した表通りの一番地の新しい家も、日光が充分入るようにとガラス張りであったし、その金を手にいれるために父親はどんなアルバイトも平気で引き受けた。家作の管理、家賃の取立てから、土木測量の実務、仕事上の相談ごと、なんでも引受け、それを収入に代え、妻と子供につぎこんだ。

母の節子もよく協力した。二人とも戸籍には庶子とある。つまり母も父も妾の子で、自分の家族を持つことが夢であり、それに異常な情熱を注いだのである。

 

 

p102

母親の節子は正直な人で、思ったことをすぐ口に出す。この時も「カスばかりが生き残った」と言った。その通りだと思って麻子の心は傷つくこともなかった。

 

p113

性欲シーンは映画に出てくる美男美女の演ずるものと思い込んでいた麻子には衝撃だったが、口がさけても川辺夫人には勿論、他へ言いつけ口しては大変なことになることぐらい麻子には分っている。

 

麻子は言っていいことと悪いことの区別はつく、それほどお粗末な人間ではない、の思いを籠めて睨み返し、力をこめ、しかし静かにつねられた腕をふり払い、無言でその場を離れた。

 

p114

切羽つまってやった行為なのか、二人の子供を食わせるための行為か、麻子には判断がつかなかったが、おアイさんから人間の営みのシンズイを教えられた思いで、そのふてぶてしさを、自分も学ばなければ、これから先、生き延びてゆくことは出来まいと、むしろおアイさんへ親近感を持ったのに、睦子は麻子を永久に許さないだろうと麻子は思った。

 

 

p116

ああいう優しい手つきで頭を撫でて貰った経験が一度あった。誰も「麻子さんは頭がいい」と褒めてくれるが、頭のいいと思われた子は頭を撫でて貰えないのか。母親は勿論、父からも姉や兄からもしてもらえなかった。それをしてくれたのは小学校の給仕さんで、名前さえ聞かなかった人だ。

 

 

p120

「忘れるっていったって記憶を消すには時間がかかるでしょ。がまんしなきゃ」

優子の顔がひきしまり、「がまんなんかしないわ。すぐ記憶を消したいの」

「消す、消すっていったって……」

そこまで言って麻子はギョッと優子を見つめ直した。いつものようにうつむいて長い睫毛を伏せている優子に異常さは感じられなかったが、麻子の胸の中で「消す」が「殺す」につながった。瞬間、少女二人の呼吸がとまった。

 

「そうか、優子とはそういう少女だったのか」何故優子に惹かれるのか分かった。いざという時の殺意。優子のたおやかな身体の芯には他への殺意がひそんでいたからだろう。

「いいんじゃない。わたし達もいつ死ぬか分からないし、手伝うわ。村松さんがそこまで決心しているなら」

 

 

p121

「そうか……」麻子は、自分を犯した須見中尉を絶対ゆるさない優子の殺意にまでつながる矜持の高さに惹かれたのか。その矜持からさわさわ伝わってくる冷気の心地良さが麻子を魅了してやまなかったのだと、納得した。

優子は恐い少女だったのだ。

 

「復讐ね。手伝う。どうせ、戦争に負けたら、あたし達は死ぬのよ。何をやってもいいんじゃない。心残りになるようなことは、すべてきっぱり処理して死のうよ」

 

 

p123

それは柔らかくあたたかく、可愛げでさえあった。掌の中で怒張してゆく原准尉の男の生理の不思議を麻子は掌の中で感じていた。

 

 

「なあ浅野筆生(麻子たち事務員は筆生と呼ばれていた)、世の中どうしてこう不公平に出来てるんだ。俺たちの部隊のようにタイプライターと暗号解読本を相手に、敵機が通過してゆく穏やかな田園で敗戦を迎えられる者もいれば、今の今、敵弾を受けてのたうち地獄の苦しみを味わっている兵隊もいる。貧乏人も金持ちも、生まれついて美しい者、醜い者、誰が運命の明暗を分けているんだ。死んでゆく者、生き残る者、どこの何様が定めているんだ。それが運命だとあきらめることは俺は厭だよ。運、不運をぼやいてお互いの傷をなめあう友情だって真っ平だ。

 戦友愛で結ばれた筈の俺たちの部隊が、これだけあっけなく崩れてゆくのを目の前で見ると、余計そう思う。殺す者、殺される者、厭だ。厭だ。人間は、いや人間ばかりじゃない、戦争の中で生きとし生ける物にどうしてこれだけ残酷な別れ道があるんだ。自分の手足が吹っ飛ばない限り、また戦争を始める奴はいるにきまっている。永久に地上から戦争がなくならないのが分かっているから『平和、平和』とみんな叫ぶんだ。地球は自転するというけど、戦争も勝敗が定まった瞬間から、また次の戦争の幕が開くんだ。しかし、分かっていても、分かっていてもな。俺はそんな愚はくりかえさないよ。俺は北海道の農家の伜だが、今度のことで物を考えることを覚えたよ。考えて、考えて、正しいと思った道をまっしぐらにつっ走るよ。いや、亀のようにノロノロでもいい。とにかくアメリカ兵に追われても、逃げて逃げて、逃げ延びて、俺のみつけた道を歩いてゆくんだ。

 とにかく、最大の悲劇は、身をもってそれを知った人たちが、みんな死んでしまっているということだ。自分が撲られなきゃ他人の痛みも分からない。何の被害もなかった人数の方が多いだろう。そいつらが、またいろはのいから始めるんだ。そいつらと闘おうと思うよ。俺は。浅野、傷も薬も乾いた。もう行きなさい」

 

 

p126

くもの子を散らすように建物からバラバラ男たちが逃げてゆく。精神構造はグラグラにゆるぎ、こわれ、ひたすら家へ向かって帰る足取りだけはしっかりと確実であり、うきうき喜びすら感じられる。敗走というものがこんなに単純に気軽に行われるとは麻子は思わなかった。

 

p136

言葉に出したことはなかったが、大切に思い、愛情をそそぎこんだものを失ってしまった。

 

 

p138

事が終わり、一瞬忘我の時が流れたが、急に須見が胸の上に倒れ伏した。ぐぐっとせぐりあげるようにおえつがもれ、何か呟いては泣いた。麻子の手が自然に須見の肩から背へ、そっと男のなめらかな肌をなでていた。かたい乳房ともいえぬ胸に首を押しあててすすり泣いた須見中尉の呟きが分かった。

「俺は根っからのファッショだ。ファッショが好きだ。これからどうしよう」

ファッショがどうなるか知ったことではないが、僅か十七歳の女の手が一人前の男を抱いて愛撫し、その愛撫に身をゆだねている男の姿態に驚き入っていた。これが女というものなのか。女だけが持つ母性というものなのか。何故か掌がいつくしむように優しく男の背を撫でさすっていた。

 

p139

男と女の肉体がからみ合うと、男にはある優しさが生まれるのだろうか。麻子は「あばずれ」と呼ばれたことよりも「俺は根っからのファッショだ。ファッションが好きだ。これからどうしよう」という須見中尉の言葉のほうがひびいた。平和などあり得ない。「俺はファッショだ」そういう男たちは永久になくならないのかもしれない。

 

 

p140

戦争からも処女性からも解き放され、麻子の身体をびっしりたがねていた鋼鉄の輪が瞬時にしてはね飛んだ快感だ。今まで縛りつけられていた道徳も慣習もすべてが音を立てて空間にはじけ飛び、伸びやかに、軽やかに解放の喜びが身体のすみずみへ浸透してゆく。麻子は自分の身体が無限の空間に柔らかく優しくほうり出されたように思えた。

 ああ、なんという快感。だが何故か上昇の気配はなかった。堕ちる予感しかなかった。

 

 

p147

麻子は、一瞬のうちに、桂次に女として身も心も奪われた。桂次にどんな事があっても、たとえ、彼から嫌われても一生ついてゆこう。淡い恋心ではなかった。ひたむきな麻子の初めての恋だった。島木桂次に一生を託そう。

 

 

p148

堕ちるーー。

島木桂次にのめりこむことは、麻子にとって愛の堕落だったろうか。

いろいろ女性関係では話題の豊富な桂次を麻子はどうしても欲しかった。

小さな劇団の演出家だった桂次を、研究生であった麻子は、他の女優ともいえぬ舞台役者の女たちをかき分け、押しのけ、奪い取り、満足だった。彼に抱かれ、彼の体臭に包まれ、情事の後の解放感と安堵感に酔い、ゆるやかに抱かれる時、麻子はこのまま目が覚めなければいいと思う。でも目覚めがやってくると、何事もなかったようにさっさと服を身につけ後も見ずに去ってしまう桂次に、惹かれつつ、不安感が残る。どうしても桂次を我がものにした自信が消えてなくなるのだった。

 

 

p149

それから三度ほど桂次の妹に会ったが、仲のよい兄妹で、桂次が麻子より、いや他のどの女より妹を愛しているのではないかと思った。

 

p150

多感な少女時代、つづけざまに姉や兄たちや父を失い、空襲であとかたもなく家も焼失してしまったせいか、子供心にも自然に無常観がしみつき、四季の変化を川面に映しながら行方も知らず流れてゆく水に愛着が濃かった。

一方に安定したつつましい生活のあることも知らず、どこの家庭も変化の連続があるものと思い込んでいた。それは麻子の心の流浪の始まりであったのかもしれない。

 

ホテルに勤めたのも「桂次のそばにより近くいたい」という思いの他に、あとくされない人の出会いと別離を繰り返し、いつ勤めても、いつ辞めてもいい責任のないメイドという職業が自由を感じさせ、麻子の性にあっていた。

 

p151

そのプレゼントを握りしめ、再び離れては抱き合い熱く長いキスをしていたが、麻子は地味な夫婦と思っていただけに、何かまともな愛をすぐ近くで見て一瞬感動した。

 

p152

たとえかつての敵にしろ、愛の交流の姿は、感動的な姿だと思った。愛が流れあう姿こそ、人間の一番美しい姿なのかもしれない、と麻子は思った。

 

 

p167

それぞれの修羅場を越え、ある種の達観を得た彼女たちは明るく活力に満ちている。

 

p168

彼女らは、とまどいまだ前途に不安を持ちうろうろ生活の手段を考えている大人たちの動揺を越え、活き活きして気持ちよかった。二度と訪れない青春の唄を七重たちは声を張り上げて歌っているようだった。

 

p169

戦争、罹災、飢えが、彼女たち本来の姿を浮き出し、年齢が若くても彼女たちは大人以上に大人であり、自分をふくめて最後の少女時代を美しく生きた少女たちを一生忘れないだろうと麻子は思った。

 

 

p175

ただ刑事がチラと見せてくれた写真の中で理代は胎児のように桂次の胸の中に大切にくるみこまれていた。麻子の胸はかきむしられ、雨をぐっしょり吸い上げた足の冷たさも忘れて、雨水の流れる舗道に崩れ落ちそうになり並木の木にしがみついた。

 

何故「本当の妹か?」と尋ねなかったのか、そのうかつさが麻子の心を打ちくだいた。絶望感で足が動かなかった。

 

 

p178

墓石にしろ墓標にしろ、それは人がこの世に生まれて、幸、不幸はともかく、生きて死んでいった証ではないか。

生き残って墓標を書いた者の、死者に対する愛惜や供養の気持ちをこめて建てたものではないか。

 

p181

好きに生きよう。好きなことだけして生きてゆこう。十九歳になった麻子の新しい決意だった。

 

p192

わずか十五分で帰ってしまう女もいる。ギリギリまで公園かどこかで遊び、その瞬間だけ利用する女もいて、麻子は驚いた。驚きながら麻子は成長していったのだ。毎日が新鮮で、朝目覚める時、今日はどんな人と出会い、どんな事件とぶつかるのか、青春真っ只中の若さに満ちあふれた麻子にとっては眠るも起きるもいっさいの不安も苦渋もない楽しい日々だった。

 

p193

そうして自分のことばかりにかまけていたせいで、妹の芳子のことも母の節子のことも忘れきっていた。

 

p194

一歩病院の外へ出れば、街は相変わらず戦後の活気に満ち『強者は栄え、弱者は亡びよ』と言わんばかりの賑わいを見せている。

 

p197

毎朝の目覚めることに喜びを感じていた麻子だったが、この夜ばかりは朝が来ないで眠りほうけてそのまま目覚めなければいいと思った。

だが、朝は来る。朝の光の中で麻子は運命の転機は今だと悟った。透とははっきり離婚し、心身ともに崩壊寸前の母と妹の傍にいてやろう。

 

p198

麻子は演劇や新演出家の加納舜との情事にかまけ、妹を大人しく行列の最後尾についていつまでも歩かせてはいけない、彼女がやすらかな表情をしていられる場所をもっと真剣に考えてやらなければいけないと、切実に反省した。反省したが、昼間、演劇の勉強、夕方から深夜にかけてバーでアルバイト、夜中には男との情事、麻子はあまりに多忙だった。

 

彼女は麻子の耳元でそっと呟いた。「薬はみんな内緒で捨ててるの。赤ん坊が出来なくなるって聞いたもんだから」

 

p199

麻子は妹が結婚を考え、子を産むつもりでいるのを初めて知った。同室の患者が教えてくれたそうだ。もし、その気があるなら何が起こるかわからない社会だ。芳子にも道が開けるかもしれない。

 

「駄目でもともと。当たって砕けろ」だと麻子は決意した。

 

 

p201

天は二物を与えずというが、芳子は神様から言葉を奪われ、更なる美貌を与えられたことになる。

綱渡りのような人生だが、麻子はやはり生きていることは意外性に満ちて素晴らしいと思った。

 

p202

夫婦としては別れた後も、お互い誘えば拒まぬ関係が、透と麻子のあいだには続いていた。芳子と違い洒落っ気のない麻子は仰向いて「ねえ。どうしてあたしを愛した?」を聞いた。透はふっと笑ってひとり言のように「愚かだから……知ってる、愚かさには愚鈍、魯鈍、痴鈍と三段階あるんだ」。

「あたしはどれ?」

「魯鈍。だから可愛い」そのまま透の胸に縋って魯鈍の意味はわからなくても語感がいいので透の胸に頬をつけた。あたたかく、広く、麻子のその日の疲労や不満が溶けて透が胸の中に吸い込んでくれるようだった。透が麻子に与えたものはやすらぎだけではなかった。

彼が麻子にくれたものの中でいちばん大きなものは、「知性」であったと思う。

 

p203

たあいなくても透が与える安堵感は、子供の頃から誰彼のために気を遣っていた麻子にとってそれはオアシスだった。自分が人生の方向を決めないでいい、社会に向かって浅野の家の代表者の顔で世を渡らなくていい。何事も人任せで生きる楽しさを久しぶりに透の胸の中で味わった。透は海だった。

 

p204

麻子は男と女の愛の関係について幼く無知だったのだろう。透の告白にすずめ蜂に刺されたような衝撃を受けたが、透が麻子を捨てるとは思わなかった。

「よく、私を捨てられたわね」

「先に俺を捨てたのは麻子だろ」

 

p206

舜はおよそ愛の常識に欠けていた。愛されれば愛されっぱなし、嫌われれば嫌われっぱなし、すべて彼にとっては心の動揺がない。彼にとって心の中心にあるものは自分の情熱だけで、他を愛する術を知らない。個性とか自己中心主義とも違う、生まれつきの欠陥人間だ。ただ彼がひたすら愛したのは自分のイメージする舞台への執着心だけのような気がする。

 

麻子と波長があったのは目の前の現実の変化には関心がなく、虚構の舞台の中でだけ楽に呼吸ができる……そうした種類の男と女であったからだろう。

 

p210

「血縁がなんだ。冗談じゃない」憤りに似たものがよぎったが、あとに残された母と妹の心細さを考えると、怒りもおさまってくる。「いけるところまで行こうや」

 

p224

「女に不感症なんていないのよ。相手の男が不器用で、急所をつかめないのよ。知ってる?女はね、初めての男で、男性観も、男遍歴のあり方も変わるんだってさ」

 

p225

笑子はとうにタカ坊と美津子の関係を見抜いていた。美津子はほんとうは龍介が好きなのだが、店の経営を考えればタカ坊はなくてはならない大切な存在だし、秤にかければ龍介の方が軽く上にあがる。そのあたりがクールに判断できなければ、とてもこの土地で店は張ってゆけまいと思った。

 

 

p226

龍介は麻子の身体に馬乗りになると一人で暴れるだけ暴れ、行為を終え、麻子の隣に身をよこたえ、すっかり麻子と世帯を持ったようにやすらかな笑顔で麻子を見詰めている。邪気のない龍介の笑顔を見ていると、笑子が「男の本性は情事のあとでわかるのよ」と言った言葉を思い出し、麻子は、きっと龍介の妻になる人は仕合わせになるだろうと思った。麻子もできるだけ優しい笑顔で彼に応えた。行為の間中、麻子は龍介ではなく、舜の事を考え通していたからだ。

 

美津子は麻子と龍介の関係に敏感に気づいた。極力二人とも注意したのだが、肌が触れあったことは、すぐわかるのか。いままでにない馴れ馴れしさがいくら気をつけても出てしまうに違いない。

 

心底龍介を彼女は愛していたから、自分のものにならなくても、誰にも指一本触れさせたくない若者の筈だった。

 

p227

美津子が創ろうとした店内の空気は変わりつつあったが、本当に嫌なら本店を売って、もっとひっそりした処へ移ればいい、麻子と美津子の似ているところは流転に慣れきってしまっていることだ。生涯一つの処でつつましく平穏に定住できない性格に育ってしまっていたからだろう。

 

p229

麻子の口座をつくり、二十万円を預けた透は、「親父が生きているうちに財産分けをやってくれてね。まとまった金が入ったんだ。こういうチャンスはなかなかないからね。由起子も赤ん坊も残してゆくよ。やっぱりフランスに行くよ。文学ではなく語学のパリ留学だ。麻子はもう困った時に金をせびりにいく相手はいないんだと思わなきゃね。でも現金で渡すと麻子はだらしないからアッという間につかっちまうだろう。銀行へ行って必要なだけ引き出す習慣を身につけておいた方がいい。もう逢えないかもしれない……ちょっと麻子の顔も見ておきたかったからね」。

 

「別れる時は簡潔明瞭にね、感傷は抜きだよ」と透の声が聞こえてくるようだった。

 

 

p231

順の武子に対するひたむきな愛情と、その庇護に心地よく身を委ね、水商売の女たちへの軽蔑を隠すこともしなかった武子の人間性の違いは、美津子ママにも麻子にもわかったが、今の順に何を言っても聞く耳を持たないだろうとほっておいた。

 

p238

青春を諸手を挙げて謳歌し、若さを武器に奔放に生き抜けると思っていたのは、若いものだけが持つ傲慢さなのか、特権なのか。人知を越えた何ものかが、罰を下したのだろうか。偶然の不運だったのだろうか。麻子がそれなりに持っていた生き抜くことへの自信も自負も打ち砕かれ、深い絶望という名の水底へ身体が沈んでゆくようだった。

 

有頂天になって乱脈な男関係に耽ってゆきそうな麻子は、頭から冷たい水を浴びせられたような気がした。どこまで舜についてゆけるのか、不安がこみあげたが、ゆけるところまでゆこうと決心した。ただ、麻子の青春時代と言えるものがこれで終わったと感じた。

 

p240

これから先どんな出逢いがあり、どんな事件との遭遇があり、人々の人生はどう変転してゆくのだろう。

麻子はなんの予測もできない未来を黙ってみつめるだけだった。

 

 

 

感想

高校生ぶりに読んだ。図書館でタイトルに惹かれて読み始め、借りることなく図書館に数度通い読み終えた本。男女関係のシーンや戦中戦後の描写、印象的なシーンがいくつかあって、読後10年近く経ってもずっと心に残っていた。

私にとっていろんな考え方の基礎みたいになった本だった。

昨年、ゴールデン街に行って人に話したことをきっかけに、この本を購入した。読み直してみて、所々欠落しているシーンや、読み直しての新たな発見がいくつもあって、改めて読んでよかったと思った。

同時に、大野靖子という人を知りたいと思った。

『少女伝』は、自伝的小説だ。凄い本だと思う。死も生も痛々しいくらい直視され、限りなく客観的で、その実その眼差しはなごやかだ。ここまで、徹底して自己や他者と向き合える人を私はしらない。

親子関係、病の家族の話、死、畑泥棒、強姦による処女喪失、男遍歴、そういったものを取り繕ったり隠したり恥じたりせず描写する強さ。きれいなだけじゃない感情を言葉にし、表現することができる気高さ。どこまでいけばこんな人になれるんだろうか。

 

神聖化も卑下もしない。世間知らずな母は、それでも病院を探したり死者への弔いを取り仕切ったし、庇護されるだけの存在ではなかった。幼い麻子に、発狂した姉を精神科に入院される役を担わせるシーンも、家族の弱さを冷静な目で見つめつつ、それに恨み辛みを重ねたりはしない。

居た堪れない場面ですらそこにあった僅かな感情をとり零さない。強姦による処女喪失の直後、強姦相手を慈しみ母性を実感するシーン。さらに、アバズレと罵ってくる相手を許容し、受け止める胆力。強姦自体を望んでいたわけではないと前置きしつつも、解放されたいという望みが薄ら自身の中にあったことを自覚するなんて境地いくら年を重ねたって辿り着ける気がしない。

奔放な男遍歴だって、潔いほどさっぱりと書く。結婚する気はないからと遊び相手の男に対して思うシーンや、幼い頃変態に拐かされた友人の女児に対しての女児が持つ性への志向を示唆するシーン 、米軍相手のパン助やパンパン宿のこと。人が目を背けたり、きれいな言葉で取り繕うことをけっしてしない。

死から目を背けないことと同じくらい、彼女は生から逃げない。性的なこともこれでもかというくらいしっかりと書く。ふてぶてしく生きること。そこにやましさはない。ただ生き抜いた者だけが持つ美しさがある。

 

麻子のものの見方や人生観に私はいたく共鳴してきた。

少女であり続ける力を持った強くて生き抜く力のある女の子。どこまでも人間的なところが愛おしい。人生に起こる辛酸を誰かのものにせず自己に内包して抱えて歩ける人は多くない。自身への仕打ちや起こってきたことを思えば、恨み辛みで腐ったり弱ったりする機会はたくさんあったはずだ。それでも、他者に対して「そういう人」と諦め達観や無常観を兼ね備えられたのは、修羅場を潜り抜けた故の逞しさだったのだろう。

多感な少女時代、つづけざまに姉や兄たちや父を失い、空襲であとかたもなく家も焼失してしまったせいか、子供心にも自然に無常観がしみつき、四季の変化を川面に映しながら行方も知らず流れてゆく水に愛着が濃かった。

一方に安定したつつましい生活のあることも知らず、どこの家庭も変化の連続があるものと思い込んでいた。それは麻子の心の流浪の始まりであったのかもしれない。

こんな人になりたかったと思う。

見たくないものだって目を逸らさず見ることのできる人。幸福な世界の中の不幸も、不運の中の幸福もどちらも存在することを淡々と描くなごやかな眼差しを持った人。

幾人の家族を失い家を失い処女を奪われ、初恋の人に騙され、家族を精神科に入院させ、離婚をし、それでも生を、青春を謳歌する。不幸な顔はけっしてしない。苦しい時は苦しい顔をしてろという野蛮さを一蹴する軽やかさを私は愛してる。罪悪感を植え付ける人間は世の中に溢れているけど、そんなものには見向きもせず、一切悪びれないところに共感が持てる。

ただ自身が生き延びることに徹頭徹尾向き合った人はこんなにもかっこいい。

そして、決して自分が愛したものを見捨てないところも人間っぽくていいなと思った。世の中に対する、薄らとした無関心と無邪気な冷徹さと、情け深さ。相反するようなものをごちゃ混ぜに抱え込む気概。

でも人間ってそうだよね。一面だけで切り捨てられたらどれだけ楽だろうと思うことがよくあるよ。私は、被害者面して生きていきたくはない。かわいそうな子ではない。諸手を挙げて幸福だとは言えないけど、全面的に不幸なんてことはない。どんな状況でも、何かしらの光はどこかにあって、それをどう自分の血肉にするか、それだけがすべて。

折れてしまうことも、絶望の淵に飲み込まれそうになることもある。最近はずっと自死を指向するものに心が持っていかれていたけど、これだけ懸命に生きた人がいると思うと少しだけ力が抜けた。まだどこかで何かに期待しているから、生き辛いんだろうな。

何も持たない私だけど、幼い麻子と同じで健康な身体だけがあった。

自分に起こったことの中にあるどんな小さいことも零さず抱きしめられるようになれたらいいと思う。読んで良かった。

 

 

少女伝

少女伝