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読んだ本の記録とメモ

安部公房『闖入者』

安部公房『闖入者』メモ

「駄目だ、そんなものじゃ役に立たん。われわれの間では、物的証拠しか通用せんのだ。ね君、こうした事件が、いかにあつかいにくいものであるか、見当がつくだろう。私見をのべさしてもらえば、私は、この種の事件には解決というものがありうるかどうかさえ、疑わしいと思っているのだ、ま、あまり神経質にならずに、うまくやって行くんだな。」

 

所有ということの不確かさが、ぼくをすっかり懐疑的にしてしまっているのでした。

 

「さあ、これで決った。圧倒的多数だね。昔なら少数が多数を暴力で支配し、それに対抗するにも個人的暴力以外に無かったものだが、人間の智恵も進んだものさ。まったく合理的に多数の意志がとおる、しかもその方法が理論的かつ理性的だときている。実に人間的なありかたというべきだね。」

 

「あるものを無いという、そんな具合に言葉を無責任に使うのは、やはり一種の暴力というべきじゃないかね。言葉は人間が社会的生活をする上、欠くべからざる共通の貴重な道具だ。それを勝手に、不当な使い方をする。ファッショ的暴行だ。こういう態度に対しては、われわれは一体どうすべきだろうか?」

 

心情的には、自分が存在することさえ、困難に思われました。

 

「ぼくはこんな状態から脱出したい。君だってそうだろう。」

「そうよ、早く脱出しなければならないわ」

「脱出、……君はいいことを言うね。そうだ、脱出だ。理性をおしまげられて生きて行くことはできない。」

「愛よ。理性じゃなくて、愛が問題なのよ。愛の力だけが生きて行けるんだわ。」

「いいよ、いいよ。理性のないところに愛はないからね。」

「あら、それはちがうのじゃかいかしら。反対よ。愛の上にこそ理性も成立つのよ。」 

 

「デモクラシーの社会では、人格はむろん独立したものよ。」

 

「追い出すですって?私たちが逃出すのよ。」

「そんな必要はない。なにも屈服する必要はないじゃないか。追い出せばいいんだ。あれは明らかにぼくの部屋だよ。それに逃出すったって、この住宅難に、どこに行けばいいって言うんだ。」

「そういう意味じゃないわ。逃出すっていうのは、精神上の問題よ。すべてを耐えうる愛の道に向って逃出すの。」

 

「その人たちは、その後どうなったの?」むすめは岩影を泳ぐ魚のような白い手を、ぼくの胸にのばし、その声は悲しげでまた何んと美しかったことでしょう。「…疲れて、みんな、お休みになりました。」「というと、死んだのだね。」ふと屋根裏の魔法がぼくの目を覆い、むすめを抱きよせて静かに接吻すると、誰かの涙が顔と顔の間の隙間をぬって流れました。

 

愚かにも無意味なる多数をして、真の多数に代らしめよ!

 

感想

約10年ぶりに再読。多数決の話題で人に勧めた手前思い出して読んでみた。多数決の原理、暴力性、多数決と民主主義。少数が多数に脅かされる物語は、現実にも起きている。多数決は本当に正しいのか、疑いを少しも持たない人は自分の良識を考え直してみたほうがいい。多数派の意見が必ずしも正しいわけではない。

『闖入者』は、主人公がいきなりやってきた9人家族に家を乗っ取られ、自己の自由も制限される話だ。誰も守ってはくれない、助けてはくれない。近所と親しくしておかなかったことを主人公は悔やむが、隣人はもちろん、警察も恋人も弁護士も、法そのものも救ってはくれない。侵略は斯様にして起こる。気づいた時にはもう了っている。これは遠くの話ではない。誰にでも起こりうる話だ。

ずっと読んでなかったのに、なぜか印象に残っていた。

読み始めて、嗚呼今の私に刺さる話だと思った。世界的な状況にも当てはまるし、示唆的なんだけど、それより何より今の私のしようもない状況に刺さりすぎた。

この言葉は本当によくわかるし、私はもう所有することも生活も怖い。

所有ということの不確かさが、ぼくをすっかり懐疑的にしてしまっているのでした。

 そして、警察の言うこの言葉が、現代の、そして私の現状の八方塞がり感をよく表している。

「駄目だ、そんなものじゃ役に立たん。われわれの間では、物的証拠しか通用せんのだ。ね君、こうした事件が、いかにあつかいにくいものであるか、見当がつくだろう。私見をのべさしてもらえば、私は、この種の事件には解決というものがありうるかどうかさえ、疑わしいと思っているのだ、ま、あまり神経質にならずに、うまくやって行くんだな。」

 だから、出口は休むことしかないんだよ。なるべく関わらないでいる、ということしか現状解はない。忌々しく不愉快な物語に救いはない。難儀だね。

 

 

安部公房全作品 2

安部公房全作品 2