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読んだ本の記録とメモ

カール・レーヴィット『日本の読者に与える跋』

『日本の読者に与える跋』

カール・レーヴィット
柴田治三郎 訳

 

カール・レーヴィット『日本の読者に与える跋』メモ

 

日本人はみんな愛国者である、どんなに心の寛い、どんなに自由な思想をもった日本人でも、やはり愛国者であるーー

 

そして、ボドレールからニーチェに至るヨーロッパの最上の人物がさすがに自己およびヨーロッパを看破して戦慄を感じたものを、日本人ははじめ無邪気に、無批判に、残らず受け取ってしまった。日本人がいよいよヨーロッパ人を知った時はすでに遅かった。その時はもうヨーロッパ人はその文明を自分でも信じなくなっていた。しかもヨーロッパ人の最上のものたる自己批判には、日本人は少しも注意を払わなかった。人々が今日でもまだ進歩の理念を信じているのはアメリカ、ロシヤおよび日本だけで、古いヨーロッパではもう久しい前からそれを疑いはじめていた。

 

日本が中国文化と接した時は、宗教上、学問上、道徳上の基礎を受けいれたが、日本人がヨーロッパから受けいれたのはそれとは違って、まず第一にヨーロッパの物質的文明――近代的産業および技術、資本主義、民法、軍隊の機構と、それに科学的研究方法であった。これがあると、何でもできないことはない。しかし、鷗外がせっかく承認しようとしても、「自由と美」だけはこれによってはけっして得られない。人間の本当の生活、物の感じ方および考え方、風習、物の評価の仕方は、その傍に、比較的変わらずに存続している。ヨーロッパ的「精神」およびその歴史――この歴史なくしては「精神」は今日あるをえなかったであろうーーは、それをいちじるしく変化せしめる体得によるのでなければ受けいれられるものではないから、それは受けいれられなかった。

 

ヨーロッパ的文明は必要に応じて着たり脱いだりすることのできる着物ではなく、着た人のからだのみならず魂までも変形させる気味わるい力をもったものである。

 

じじつ、西洋的文明の近代の業績は任意の目的のための単なる手段ではけっしてなく、多くの人間、多くの民族の全生活と社会生活を規定するものである。産業と技術ーー両者はいざという場合、戦争に役立つ――による生活の改造がもたらす内面的結果は、何びともこれを避けることができない。古い宗教上、道徳上、社会上の基礎の分裂は必然の帰結で、どんな文明の進歩もそれをごまかして、そっとやりすごすことはできない。「近代的日本」というのは、(ヨーロッパ人にとって)それ自身生きた矛盾である。本質的に近代的なものは日本的(日本精神的)ではないし、純粋に日本的なものは太古のものだからである。

 

日本的なもののうち最上のものを保存し、ヨーロッパの最上のものを採り、こうして「日本の完全」に「ヨーロッパの完全」をつぎ足そうとする(鷗外)。まるで文化と文化が任意に組み合わせられ、善いところを引き取って悪いところを返し、このようにしてヨーロッパを凌駕することができるといった風である。日本人は最上のものを受容する心の用意をどんな場合にも心の寛さだと解釈することが好きである。しかし、この心の寛さには、市井生活における日本人の有利な特徴として謙譲の徳があるにもかかわらず、虚栄のみならず不遜が含まれていないとはけっして言えないのである。(市井生活というのは政治的国家的生活に対しての意味で、後者においてはそんなに「謙譲」ではない。)

 

まずはヨーロッパの思考方法を受けとり、次に批判的に局限し、最後に事柄を何とかして「いささか深く」かつ「より複雑に」理解するという結構な結果に達する、といった風である。

 

ヨーロッパからすでに何もかも学んでしまって、今度はそれを改善し、もうそれを凌駕していると思っている。 

 

自己の優越をかように無邪気に信ずることのより深い根拠は、正義は神国日本に体現していると信ずる日本的自愛である。

 

何か他のもの、知らないものを体得するには、あらかじめ自分を自分から疎隔すること、すなわち遠ざけることができ、それから、そのようにして自分から離れたところにいて、他のものを知らないもののつもりでわが物にする、ということが必要であろう。体得という精神的作業は、一種の加工でなければならない。その加工をやっているうちに、われわれの作業の対象たる「知らないもの」は「知らないもの」でなくなる。

 

しかし、自己の外にあんなに自由に歩みでること、そして、その結果生まれる体得の力、自己および世界に対する自由な態度から生ずる体得の力はかつてなかった。ギリシャ人だけが、最初に生まれたヨーロッパ人として、ブルクハルトの言をかりるならば〔四方八方を自由に眺めまわすことのできる〕「パノラマ式」の眼、世界と自己自身を観る客観的な即物的な眼差、比較し区別することができ、自己を他において認識する眼差を有していた。

 

即物的に他なるものを対自的に学ぶことをしないのである。

 

かれらは他から自分自身へかえらない、自由でない、すなわちーーヘーゲル流にいえばーーかれらは「他在において自分失わずにいる」ことがないのである。

 

本当のところ、かれらはあるがままの自分を愛している。認識の木の実をまだ食べていないので、純潔さを喪失していない。人間を自分の中から取り出し、人間を自分に対して批判的にするあの喪失を嘗めていないのである。

 

それに、チェンバレンが delicate sensitiveness とよんだ極端な感じやすさがつけ加わる。その裏側は短期(touchiness)で、これは真実を回避するし、前後を顧慮する弁えがない。

 

ヨーロッパ精神はまず批判の精神で、区別し、比較し決定することを弁えている。批判はなるほど純粋に否定的なもののように見える。しかし、それは否定することの建設的な力、古くから伝えられて現に存在しているものを活動の中に保ち、さらにその上の発展を促す力を含んでいる。批判は、つねに存するものを一 歩一歩と分解し前進せしめるがゆえに、まさしくヨーロッパの進歩の原理である。東洋は、ヨーロッパ的進歩全体の基礎になっているこうした容赦のない批判が自分に加えられるのにも他人に加えられるのにも、堪えることができない。およそ現存するもの、国家および自然、神および人間、教義および偏見に対する批判ーーすべてのものを取って抑えて質問し、懐疑し、探求する判別力、これはヨーロッパ的生活の一要素であり、これなくしてはヨーロッパ的生活は考えられない。

 

絶えまのない危機を通しての前進、科学的精神、決然たる思考と行為、不愉快なことでも直截に言表すること、〔他人を論理的〕帰結の前にひきすえたり、みずから〔論理的〕帰結を引き出したりすること、そしてとりわけ、自己を端的に他から区別する個性、これらすべてのヨーロッパ的特性も、そうした批判という能力と密接な関係を有する。じっさい、何事にあずかろうと〔何事を分かとうと〕、みずからはつねに「個体」、すなわち分かつことのできないものたる人間だけが、およそ、自分と神、自分と世界、自分とその民族、あるいは国家、自分と人間、自分と自分自身の「厭うべき我」(パスカル)、真と偽、諾と否を、そのように峻烈に的確に区別し、決定する能力を有する。

 

それゆえ、ヨーロッパ的精神の対照をなすものは何かといえば、境界をぼかしてしまう気分の中でする生活、人間と自然界の関係における感情だけに基づいた、したがって相反を含まない統一、両親、家庭および国家への批判を抜きにした拘束、自己の内面、自己の弱点を露わさないこと、論理的帰結の回避、人との交際における妥協、一般に通用する風習への因襲的服従、万事仲介による間接的な形式等である。そして、この仲介による形式は個人としての人間を除外し、人間に、自分で行動し、自分について語り、自分のために弁明することを許さないものである。

 

それゆえ、圧制を加えて画一化する権力ということだけは、ヨーロッパにとってはつねに致命的な圧迫である。その権力が一つの国家に仕えるものたると、あるいは政治的なり宗教的なり社会的なりの一つの水平化的傾向に仕えるものたるとを問わない。

 

ブルクハルトが前世紀の中葉にすでに大衆化の一結果として予見していた強制統一と強制水平化が、全体主義国家においては一つの事実となってしまった。

 

まず第一に盲目的に信じ従う(信ずる〈credere〉・従う〈obbedire〉・戦う〈combattere〉というのが、ファッシストの金言である)べき国家、地上の神として良心を左右するものであり同時に一種の教会である国家という怪物、専制とを、かりにヘーゲルやブルクハルトが見聞きしたとすれば、この人たちのヨーロッパ的精神は一刻も猶予せずに、この発展を「アジヤ的」への発展と名づけたに違いない。じじつ、これは単純化を強要し、生活と思考の一様化を教えるもので、そんな一様化が行われたら、ヨーロッパの伝統的精神は締め殺されてしまう。

 

感想

これ初出は1940年『思想』11月号なんだよね。

1940年って、第二次世界大戦の最中。「ぜいたくは敵だ」とかの言葉が流行った年。

東北帝国大学で、教鞭をとっていたドイツ生まれのユダヤ人のカールレーヴィットから見た日本、そして日本人。

80年日本は変わっていないのではないかと思った。

今の日本とこれが書かれた当時の日本は、割とよく似ている気がする。

 

ちなみに、レーヴィットのいうヨーロッパとは新しいヨーロッパのことではなくて、「古い真の意味でのヨーロッパ人」のこと。だからヨーロッパの精神が生きていたドイツの最後の哲学者はニーチェなの。